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「北海道の知人への便り」
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先日はお便りを頂き有難うございました。いろいろと考えているうちについ時間が経ってしまいました。
3年ほど前からペチカの燃料に薪を焚く生活を始められているとの事ですが、環境に優しい上に、燃える火を見ながらの快適な暮らしには魅力を感じます。昨年の3月11日を契機に、社会全般に欲望の拡大のみを求め続けてきた生活から目覚めて、漸く本来のQOLのあり方に関心が向いてきたように見えます。
そこまでは、異論なく全面賛成なのですが、私が考えさせられたのは、次の2点でした。
1つは、東京に住むとはどう云う事か。もう1つは、都市を創ると云うのは時代に逆行する事なのかと云う事です。
以下は前者についての所感です。かって或る文芸評論家が、東京と云う地域社会を「中央としての東京」と「地方としての東京」との2つに切り分けて捉えた事がありました。全国のすべてのエリアを対象として、政治・経済・文化の総元締めとしての役割を果たすべく活動を行っているのが「中央としての東京」であり、市民が自分の住処のまわりで日々の生活をしているのは「地方としての東京」です。東京の特性を見事に表現していると思います。
これに従うと、「地方としての東京」を過ごしている人々は、全国の他の地方の人たちとどこか違いがあるのでしょうか。社会資本の整備水準が高い事と反面それを消費する人口密度も高いと云う点では違いはあるでしょうが、基本的に大きな質の違いは無いような気がします。
そうだとすると、東京と地方との違いは、専ら「中央としての東京」に関わる事なのではないでしょうか。一例として、特に目立つだけでなく、今後大きな問題を内包していそうなのが超高層マンションなのではないかと思います。交換価値の実現を目指して、ビジネスが成立する範囲だけを切り取って売り抜けてしまう高層マンションは埋立地や大規模工場跡地に族生してスカイラインをすっかり変えてしまいましたが、このスタイルが波及して今や県庁所在地クラスの地方都市でもごくありふれた風景になって来ています。
(2012.10.26) |
「街づくりと線引き制度」
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都市計画制度に関心のある方達には、よく知られている事だと思いますが、都城市では1988年(昭和63)に市街化区域と市街化調整区域との区域区分いわゆる線引き制度が撤廃されました。長い間廃止の実例は殆ど無かったために当時は話題になったものでした。線引きが行われたのは1970年(昭和45)ですから、線引きが実施されていた期間は18年間と云う事になります
私は、この問題について都城の特殊な事情があるにしても、線引きは堅持すべきであり、線引きを前提にして、広域合併の結果旧町村の中心部が分散配置されていると云う状況を生かした特色ある都市像を創り上げて行くべきであると考えていました。
このような視点から、私は1994年(平成6)に、線引きを廃止するのは適切でないと云う主旨で、宮崎県が云っている線引き廃止の理由が正当ではない事、1987(昭和62)年に建設省(当時)から出された線引き運用改善に関する通達に照らしても、適切ではない事について一文を書いた事があります。そして、その中で今後の課題として「線引き廃止の後始末をどうするのか」等4つの課題を挙げています。(「南方圏のひろば」1994/8第64号)
その後、街が混乱していくという心配した状況が現れます。線引き廃止後用途地域外(=市街化区域外)における住宅立地が目立つようになって来ており、住居系新築確認件数について私が調べた所では、用途地域内に立地する住宅は線引き廃止の前年1987(昭和62)には約70%あったのですが、1995(平成7)には約45%にまで低下しています。建築活動の活発な地区の用途や形態をコントロールして良い街を創ろうと云う制度の主旨に逆転現象が生じている訳です。街は散漫に拡大して行き、そして中心市街地の活力は低下し、求心力を失って行きます。
そして今月の事です。「広報都城9月号」によると、都城市は「少子高齢化社会に対応するため新たな土地利用の規制・誘導の検討を行う」のだそうです。
線引き廃止から早や4分の1世紀近くも経ってしまいましたが、行政の方でも「線引きの撤廃は・・・車社会の進展に伴い郊外への大型店舗の進出や、散発的な住宅開発などによる無秩序な開発が行われました」と云う認識には達したようです。
土地利用ガイドラインの素案が市ホームページで公開されています。情緒的に反省するだけでは問題は解決しませんし、口当たりの良い美辞麗句でも現実は変わりません。
線引き廃止によって何がどのように問題であったのか実証的な調査が行われて、キチンとした検証がなされているものと思います。
本当に住みよい街が出来上がるように、実効性のある方策が生み出されることを期待したいと思います。
(2012.9.14) |
「庁舎のあり方」
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立川市の新庁舎建設計画に市民として関わった時、庁舎のあり方についていろいろと考える事があったので、町田市新庁舎ではどう処理されているのか興味を持って出かけました。
関心のある点を2点取り上げます。第1点は、市長をはじめとする理事者のスペースは、どんな場所に、どんな条件を備えてあればよいのかというものです。以前、デモや集団示威行動が激しかった時代の話ですが、多摩の某市の市長室では裏口から抜け出せる緊急脱出口が設けられていると云う話を聞いた事があります。真偽のほどは分かりませんが。
この問題は突き詰めると、市長は権力者なのか、それとも市民と協働するパートナーなのか、という点に辿り着くような気がします。権力者なら、一般市民が入っていくには抵抗がある、権威的な雰囲気を持って奥まった所に位置するでしょうし、一方、市長は市民と協働するパートナーだというのなら、市民や市民グループが気楽にアクセス出来る場所が選ばれるのではないでしょうか。
もう1つの点は、議会活動に関わる事です。地方分権が進展すると、各自治体でそれぞれの地域特性に応じたルールを創る機会が増えて来る筈です。当然の事ながらルールづくりには議会が条例制定等を通じて深く関わってきますし、一方市民の参加、市民との協働が緊密に行われる事になるでしょう。また政策立案のためには、各種資料の収集分析や情報端末のような環境整備も必要とされるでしょう。これからの地域自治のあり方を展望した時に、どのようなスペースが必要とされ、どのような空間構成になるのでしょうか。恐らくは従来型の議場+付属施設と云ったものではなく、市民と議員とのインターフエイスの在り方、情報の収集処理やそれを政策へと発展させるための検討の場などに何か新しい空間システムが要請されているのではないかと思うのですが、果たしてどうなのでしょうか。
(2012.7.30) |
「富山ライトレール」
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富山ライトレールは、日本初の本格的なLRTと云われており、平成18年4月に開業しています。この路線は元々JR西日本鰍ェ運行していた鉄道を引き取り、路面電車化して利用しやすいようにして再生したものです。路線延長は約7.6Kmで、駅数は13、うち5駅が新駅です。
整備は「公設民営方式」で行われ、富山市が建設・維持管理を、第3セクターの富山ライトレール鰍ェ運行を行っています。
私は起点の富山駅北から終点の岩瀬浜まで往復してきました。低床車両で振動も少なく、乗り心地も上々でした。200円の均一料金と云うのも利用しやすい感じです。
LRTを始めとする利用しやすい公共輸送機関を整備することは、住み易い街を創って行く上で大変重要な事だと思います。その意味で私は富山ライトレールに2つの点で関心を持っていました。
1つは、コンパクトシテイの形成に向けて交通施設の整備によって、沿線の土地利用がどのように変化していくのかと云う点です。地方都市ですから、都心(この場合は富山駅北)周辺に業務商業機能の集積が進み、周辺の近接した場所に住宅地が形成される事が期待されると思うのですが実態はどうなのでしょうか。富山駅北の次の駅前にはわが国IT企業の草分けである潟Cンテックの超高層の本社ビルが建っていました。
2つ目は、LRTの利用者を増やすような沿線の観光レクリエーション資源の存在と資源開発の状況です。訪れる人を楽しませるために、いろいろと手を付けられているようですが、まだブラッシュアップの途上のような印象でした。例えば、「沿線寄り道マップ」には、観光スポットとして車両基地が挙げられているのですが、下車してみると見学する場所がある訳でもなく、ホームから覗いて見ることだけしか出来ませんでした。
富山ライトレールは、大きな期待を担ってスタートしたプロジェクトですから、成果を上げて、地方都市再生のモデルになってほしいと思っています。
(2012.6.14) |
「地域コミュニテイ税」
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雑誌を読んでいて、面白い記事を目にしました。
今日「コミュニテイ」が都市計画の政策遂行上重要だと言う事でターゲットになっている。これは、近年、市町村の合併で自治体の規模は大きくなって来ており、より身近な地域的まとまりが重要であるという判断に基づいている。一方、コミュニティの運営は、これに必要な制度的便宜(法人格、課税権など)を持っていない、いわば民間での努力に委ねられているが、自治会・町内会では参加率が低下を続けており、受益と負担が矛盾している。と言う事で解決へ向けての試みとして宮崎市の「地域コミュニテイ税」が紹介されていました。(名和田2011)
宮崎市の地域コミュニテイ税は、平成21年4月から施行されましたが、市の説明ではこれからの地域づくりのあり方を自助、互助、公助の3つに分け、このうちの互助について更に2区分しています。互助の1つの小さな自治は従来どおり自治会・自治公民館等が担い、もう1つの大きな自治については、地域まちづくり推進委員会が地域コミュニテイ税を財源として取組むとされています。事業内容の例としては、地域合同防災訓練、子育て支援、里山の保全、ITを活用した情報の発信などが挙げられています。
課税の対象は市民税均等割が課税されている市民としており、年税額は500円です。
この宮崎市地域コミュニテイ条例は、4年後に見直す事になっており、どのように機能し、成果がどう評価されるのか、興味のある所だったのですが、現実には平成23年3月で廃止され僅か2年間の生命でした。
この税が市長選での争点になったようで、「自治会費との二重取り。安易な増税は許されない」と廃止を公約した新市長が当選したのが廃止のきっかけのようです。
若干元現市長の経歴を知っている事もあり、近代的な官僚政治と土着的なポピュリズムとの鬩ぎあいが透けて見えるような感じがしています。そして受益と負担の不公平、コミュニテイの課題はそのまま残されたままです。二重取りでなく、公平で、コミュニティの課題に応えるような制度は創出されるのでしょうか。
(2012.4.24) |
おおたオープンファクトリー
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2月4日(土)に開かれた「おおたオープンファクトリー」は、おおたオープンファクトリー実行委員会(モノづくり観光研究会×大田観光協会)が主催する年に1度のイベントです。
大田区内にある最先端のモノづくりの現場を巡りながら、わが国の製造業の最前線を直接見ることが出来るとても魅力的な企画でした。
今年は東急多摩川線下丸子駅・武蔵新田駅周辺が会場地区だったのですが、下丸子駅を下りるとすぐ駅前に、「下丸子インフォボックス」と云う情報拠点が設けられており、定時オープンの受付と整理券の配布をしています。また参加工場のガイドマップも置いてあります。
今回は16の工場が参加しており、軒先オープンをする工場、定時オープンする工場、両者に対応する工場とオープンの形はさまざまですが、この地区一帯に分散立地している参加工場をガイドマップとマップに記載されているタイムテーブルをチェックしながら、自分の関心に合わせて選択し、見て回ることが可能です。
その日は、10ヶ所ほどの工場を見学させて貰いました。私は1973年(昭和48年)に典型的な住工混在地区である大田区西糀谷地区の環境整備のあり方について、調査・計画した事があります。今回のこの会場地区一帯も、住工混在地区であり、その中で近年マンション建設が結構多いと報道されている事にもかねがね関心を持っていました。その意味で街を歩く興味もあったのですが、歩いているとマップ片手の人が結構目に付きます。このようなイベントが産業を見る視点や街の雰囲気を変えていくきっかけになるような感じがしました。
(2012.2.20) |
日本人について
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年の始めにあたって、こんな事を考えました。
東日本大震災の後、あれだけ大変な思いをし、身近な家族友人を失った人々が、食料や水の不足に悩まされながらも、取り乱すことなく、暴動を起こす事もなく、秩序を保っている光景を見て、世界中から賞賛の言葉が寄せられました。かってハリケーンに襲われた都市で見られた混乱などが人々の記憶に残っていただけに一層新鮮な驚きであったのだろうと思います。日本人の面目躍如と云った所です。
一方、相も変わらず、国の財政は支出が収入の2倍以上もあり、改善される気配もありません。ちょっと目を離していると、公務員住宅の建設が再開されそうになり、行政改革も進まず、誰が総理になっても、マスコミを始めとして一斉に足を引張り始める、国際会議の都度総理の顔が変わっている、と言うのもいまや定番になってしまったような感じです。
極めて礼儀正しく、秩序を重んずる面と、長期的な見通しも見識も感じられない面は、ともに私たち日本人の真の姿であり、かつ一体である事に問題の根が深い事を感じざるを得ません。
このようなわれわれは、グローバリゼーションの中でこれからの社会をどう運営していけばいいのでしょうか。
これまでわれわれは、明治の欧風化時代から、最近の新自由主義に至るまで、”あちら”のスタイルへ懸命に追随して今日に至っていますが、無理をして他文化の鋳型に嵌め込む必要はないと思います。長所・短所、さまざまな側面を抱えながらも自分たちの特性を活かし、一つの個性的な文化類型としてこれまでのスタイルを大切にしながら地球社会の一員として生きていくのが良いのではないかと思っています。つまり基本的に”多文化共生”が今後の方向だろうと思います。
それにしても余りにも効率の悪い国家運営をしているように思えてなりません。日本人が、私自身を含めて、極めて”計画性”に乏しい人達である事は日頃いやという程意識させられています。目標指向型ではなく、状況指向型の社会のような気がします。元を糺せば自然に従って生きて来た農業社会の名残りなのかもしれません。
地理的な拡大を望めない島国の自然の枠組みの中で生きて来た我々にとって、社会の枠組みも与えられたものと受け止め、枠組みを超える目標を設定し、その達成を目指すと云うのは、現実的ではなかったのでしょう。
しかしながら、人口減少、少子高齢化など厳しい前途を考えると、贅肉を削ぎ落として、効率の良い社会システムを構築する事は必要ですし、そのためには計画的でなければならないだろうと思います。
(2012.1.12) |