あなたのまちづくりをお手伝い まちづくりホームプランナー事業協同組合 Urban Planners Association


Cover Page

あなたのまちづくりをお手伝い

まちづくり広場

ホームプランナーの活動

ちょっとメモランダム(2013年分)

組合や組合メンバーの活動ご紹介、メンバーが出合ったちょっと役に立つ情報や気になること、あるいは日頃の活動の中で感じた独り言などなど、書きとめておきたいことをランダムにレポートします。
タイトル
発信者
記事
「日常と研究とのはざま」
 今年も残り少なくなってきました。例年、年末年始には繁華街での交通渋滞が見られます。特に大売出しの日等には、バスなどの公共機関にも影響が出てきており、定時運行が出来ない事態も生じています。

 渋滞が発生する原因は、何か、また渋滞解決の対処方策には、どんな事があるのか、は地区によって違う点もあるでしょうが、いくつかの共通項がありそうに思います。例えば、@大型店の駐車場への入庫待ちマイカー、A貸駐車場への入庫待ちマイカー、B荷捌き車両の駐車・路上積み下ろし、C一般車の駐停車、などが主な原因で交通の流れが悪くなり、渋滞が発生するのではないでしょうか。そうすると、これらの原因を取り除く事によって問題は解決する筈ですが、それを誰が、どのようにして、どんな手段、どんな強制力を通じて解決しているのでしょうか。

 研究者による研究論文では、はっきりした枠組みの中で、明確な課題設定、一貫した論理での解析によるものが多いと思いますが、これに対して、ローカルな繁華街の一時的な交通渋滞は、因果関係が余り明確でなかったり、解決の方策が論理的でなかったりする場合もありそうです。そのような問題を各地区でどう解決しているのか知りたいと思っても、中々文字情報の中では見つける事が出来ません。それぞれの地区毎に関係者の間だけで、一品生産的にノーハウが蓄積されているのでしょうか。

 維持管理、エリアマネージメントに都市問題の軸足が移りつつある現在、余り大上段に振りかぶらないノーハウを沢山蓄積して、見える化する事が重要になって来るのではないかと感じています。
(2013.11.18)
「或る商業人の死を悼む」
 去る9月に政令指定都市の商店街連合会で現役の会長を務めておられたO氏が急逝されました。
 その日の朝、私の留守番電話にメッセージが残されていたので、折り返し電話を掛け続けていたのですが、遂に再び氏の声を聴くことが出来ませんでした。誠に残念です。
 これまでのO氏との付き合い方だと、そのような電話の場合は、新しい企画の話、あるいは、商店街が当面する具体的な課題の相談事が多かったように思います。何か話したいことがあった筈ですがそれも叶わぬまま、そして商店街の多くの事柄に関しても想い半ばで逝かれたのではないでしょうか。
 私は、O氏にお付き合い頂いてから、およそ15年程になりますが、つい最近まで氏の人間的な素晴らしさに気付くことなく、単なる飲み友達のような気分でいた自分の愚かさに今になって気が付き、深く悔やんでおります。意を尽くしませんが、私が理解できた氏の素晴らしさは例えば次のような事柄です。

 何よりも温和な人柄で、只の1度も怒った顔を見た事はありませんでした。合気道の警視庁師範だったと云うのが信じられないほど常ににこやかで誰とでも気さくに話し、豊富な話題で人を飽きさせる事がありませんでした。

 街づくりには、国語と算数が必要で、しかも国語が算数より上になければいけないと云うのが私の持論なのですが、O氏はそのバランス感覚が絶妙でした。クラシック音楽を愛し、音楽に関する知識は素人のレベルを遥かに超えた水準のものでした。家に帰ると数千枚のLPコレクションをボーズのスピーカーで聴きながら、外での憂さを癒していると云う、そんな気持ちで、どのようにしてお客様の心が満たされるか常に考えられていた様に思います。定員を遥かに超える応募があった商連50周年記念コンサート「〜やわらかクラシック〜3大協奏曲の競演」(2000年10月)の開催趣旨でも「あまりアカデミックな堅苦しいものではなく、肩の凝らない、楽しい雰囲気で、しかも高い芸術性と充実した内容を備えているもの」を企画したと書かれています。そして人の心に訴える楽しいイベントを、一方では事業としても成立させている手腕が長年のキャリアの背景にあったように思います。

 氏は地元の商店街の理事長となって、まず商店街を法人化し、アーケード・モール化事業を実施して、現在のショッピング・ストリートの賑わいを実現されました。これを皮切りにして、地区商連、市商連、県商連その他の要職を歴任されてきたのですが、氏の算数の能力は、そのキャリアの中で遺憾なく発揮されていたようです。文書処理に苦手な人が多い商店街関係者の中で、煩雑な事務処理を行う一方で、許認可、補助金導入のノウハウを充分に身につけて、どこを押えれば行政は動くかのツボも心得て、抜群の交渉力を発揮されていたようです。

 こんな側面もありました。実現したいことがあっても、客観的な情勢がそれを許さない時は、実に辛抱強く機が熟するのを待って取り組むと云う、その意味では典型的な"家康"型の性格でした。普通の人だったら、とっくに忘れてしまうようなアイデアでも、長い期間に亘って辛抱強く懐で温めていました。今年の7月から市商連で特別委員会を起ち上げ、みずから委員長となって抜本的な組織のあり方の見直しを始めているのですが、これはまさにそのようなテーマの1つであったようで、ようやく長く暖めていた課題に取り組む時期に至ったと云う判断だったように思います。まさに志半ばで終わってしまったと云った感じです。

 商店街の多くの役職を引き受けて多忙な毎日を過ごしているのは、長年商売をさせて頂いた地元へ少しでも恩返ししたいからだと常々話されていました。O氏は常に市民のまなざしで地域を見ており、音楽を愛する打算のない優しい心情で多くの人たちに慕われていた、平凡だが稀有の得難い存在だったと思います。(合掌)
(2013.10.3)
「中心市街地の再活性化に向けて」
 「中心市街地の再活性化に向けて」(提言)が産業構造審議会中心市街地活性化部会から先月6月に公表されました。
 内容は、「1.現状の評価と課題」、「2.政策の必要性と方向性」、「3.具体的施策の方向性」の3章構成になっています。このうち基本的な方向性が述べられているのは、「2.政策の必要性と方向性」ですが、その中で「中心市街地の活性化政策の基本的な方向性」として4点が挙げられています。
 @理念の共有・浸透、A民間が力を発揮しやすい環境づくりと行政との協働、B中心市街地外の住まい手への便益の拡大、C個々のまちの実情への配慮・個性の尊重
 一見すると、基本的な方向性が良くまとめられているように見受けられます。しかし、現実に自分がよく知っている幾つかの都市の具体的な活性化を考える時、どうすれば良いのだろうと悩みます。例えば、以下のような点です。
@理念を共有すると云う場合の理念とは、どんな内容のものになるのでしょうか。
 「人口減少・高齢化の中で地域の住まい手にとっても必要な機能を確保して行くこと、地方財政を持続可能な状態で維持すること、地域の魅力の再生を通 じて誇りを取り戻すこと・・・は普遍的な目標であり、」と云うのは至極尤もですが、そこから活性化の実現までの間には随分遠い距離があるように感じます。普遍的な目標が目標になっている自治体が一体どれぐらいあるのか考えると暗然としますし、理念共有の主体については、首長と議会が挙げられていますが、それで済む訳はなく、さまざまな団体・市民層の理念の共有はどうなるのか。例えば、市町村基本構想が理念の共有に何かの役に立っているとは余り思えないのですが。
A中心市街地と郊外の役割分担に関して、パタン・ランゲージやイギリスの階層構造を根拠にした記述が見られますが、私は、どうもわが国の場合、こう云う教科書的な階層構造が崩壊してきている所に大きな問題があるような気がしています。そのため中心地の概念が説得力を持てなく、従って共有されたイメージが持ち難いし、適正配置の議論もし難いと云うのが実態なのではないでしょうか。
C個性の尊重と国が引き続き関与する事とは、どのように矛盾なく共存して、活性化へ寄与するのでしょうか。仕切りの仕方が大変重要だと思います。
別の所で、「法に基づく取組は、・・・ある種の「モデル性」を備えることが期待されるが・・・」とありますが、個性的であり、かつモデル的と云うのは余りイメージ出来ません。個性を尊重する計画は、排除されると云う事なのでしょうか。

 そもそも、殆どの地方都市中心市街地で進行している惨憺たる状況は、何が原因で引き起こされたのでしょうか。部分的な原因は、いろいろ挙げられているようですが、何かもっと大きな力が働いている様な気がします。納得できる説明を知りたいものです。
(2013.8.3)
「社会激変とカタカナ言葉」
 最近ふと気が付いたのですが、社会が激変した時、状況に関連して新しいカタカナ言葉が、使われるようになって来ているように感じました。
 阪神淡路大震災の後にひとしきり使われた言葉に、「リダンダンシィ」と云う言葉がありました。「冗長性」といわれ、物事は、厳密にギリギリ必要最小限に作ったりするのではなく、少しゆとりを持って、ユルユルにしておいた方が良いとでも云う意味だと思います。
 意味の拡大と云う事でしょうか、「多重性」、「代替え手段の確保」と説明されているものもありますし、「建築的リダンダンシー」などの言葉も目につきます。
 東日本大震災の後で言われている言葉には、「レリジエンス」と云うのがあります。回復・復興するのに、早急に、計画的に進めるのではなく、自然が持っている治癒力を生かしてゆっくりとしなやかに復興を図っていくとでも云う意味だろうと思います。
 どうしてこうカタカナ言葉になるのでしょうか。適切な日本語が無いからなのでしょうか。状況にうまくフイットした感じを出せないからなのでしょうか。逆にこれらの言葉は、欧米文化の深層から出てきた言葉で、状況を理解し共感できるからなのでしょうか。
 最近、同じような感じを受けている言葉に、「ダイバーシテイ」というのがあります。こちらは「多様性」というレッキとした日本語があると思うのですが、やはり従来の日本語と一味違うニユアンスが込められているのかも知れません。それは何なのでしょうか。
(2013.5.31)
「まちの"狭間"を中心に」
  昨年春にオープンした「IKEA福岡新宮」店を見に行って来ました。JR博多駅から鹿児島本線で所要時間約20分の、2010年3月に開業した新駅「新宮中央」の駅前広場に面した位置にあります。
 真新しい駅2階のコンコースから外を眺めると、正面街区では駅前広場の先を奥行500m近くまでせせらぎと散策路があるオープンスペースが拡がっており、「IKEA福岡新宮」店は、向かって右側にあります。
 この茫漠とした空間はなんだろうと、興味はそちらに移ってしまいました。
 パンフレットによると、「まちの"狭間"を中心に」と云う新宮町中心市街地整備事業によって整備されているものだそうです。
 もともとこの街は、工場地帯として発展してきており、街の地理的な中心であるこの一帯は取り残された農地だったそうです。
 下水処理場(浄化センター)の建設をするにあたって、この"狭間"を計画地とすることで住民合意がなされ、これを「環境共生の核」とし、またJR新駅を誘致して、「コンパクトシテイの核」と位置づけて、土地区画整理事業による中心市街地の整備を進めたものだそうです。
 先述した奥に長いオープンスペースは、街区北側半分の沖田中央公園で、その中央部南側に接しているのが新宮中央浄化センターです。浄化センターは施設用地ではあっても、オープンスペース部分が広いので公園と一体化した印象を受けます。
 すでに、エリアマネージメント協議会も設立されているようで、どんな中心地に成長するか楽しみです。
(2013.4.9)
「駅勢圏の開発及び利用に関する法律」
 「駅勢圏の開発及び利用に関する法律」(2010年4月15日新規制定)と云うものが出来たそうです。と云ってもわが国の事ではなくお隣の韓国のお話しです。(以下周藤利一訳による)
 人口減少・少子高齢化の時代を迎えて、暮らしやすい街を創るために、まず思い浮かぶ方策の1つが、交通利便性を高めて都市をコンパクトにする事だと思うのですが、これに関連がありそうだと思い目を通してみました。以下は面白そうな所のつまみ食いです。

*「駅勢圏開発事業」とは、駅勢圏開発区域において鉄道駅及び住宅、教育、保健福祉、観光、文化、商業、体育等の機能を有する団地の造成及びや(ママ)施設の設置のために施行する事業 (第2条)
*特例措置として開発区域を高密度の開発が可能な用途地域へ変更し、又は建ぺい率若しくは容積率の制限を緩和する経営計画を策定する事が出来る。(第8条)
*事業施行者は事業施行により造成された土地または建築物をもって償還する「土地償還債券」を発行する事が出来る。(第18条)
*国は駅勢圏開発事業が施行される地域において駅勢圏開発事業により正常地価上昇分を超過して発生する土地価格の増加分の1部を開発利益として還元する事が出来る。開発利益の還収基準は賦課終了時点の賦課対象土地の価格から、賦課開始時点の土地価格、正常地価上昇分、開発費用を控除した金額の25/100とする。(第25条)

 以上のようなものですが、開発を進めるとなると結局はこのような仕組みになってしまうのかなと思いました。
 そうすると、暮らしやすい街へ結びつけるためには、誰が、どんな仕組みを準備すれば良いのかが問われることになりそうです。
 私は、この場合国が徴収した開発利益を目的税的に位置づけて、開発地区の低所得者用住宅と関連施設の建設費にあてて、低家賃を実現するのが良いのではないかと思いますが、どうでしょうか。
(2013.3.8)
「中心市街地か中心商業地か」
 大変興味深い論文を目にしました。大西隆氏による、「逆都市化時代の中心市街地〜地方都市の中心市街地は自然淘汰に委ねてはどうか?」(地方自治職員研修2012.9)、「脱商店街の活性化〜逆都市化時代の中心市街地論」(地域開発2013.1)です。
 その主張は、中心商店街は売上占率が大幅に低下しており、公共性の高い社会資産としては既に存在していないとして、中心市街地と中心商業地の問題を明確に区別し、それぞれに適切な方向性を与えるべきで、中心商業地をことさら重視した政策は時代遅れであると云うものです。
 これに対しては、長年商業活性化のために努力してきた人たちからは、反論がありそうですが、私はこの主張に大きな違和感はなく、大筋ではその通りだと思います。
私は、これまで商店街は中心市街地の中で適切に位置づけられ、業務やサービスその他の機能等との関連の中でその役割を果たすべきだと考えて来ていたので、基本的な構造は、中心市街地として構成され、そのなかで商業地の在り方は規定されていると思っています。
 しかし、一方で気になっている事があります。商店街では、モール、アーケード、照明灯等のハードな施設の設置・管理やイベント等に膨大な資金的・人的資源を投入して来ています。通常は、これらは集客や販売促進の手段として経済活動のなかの非収益部分として理解されるのでしょうが、私にはそのような経済活動の一環として理解される以上の大きな社会的役割を担ってきているような気がしています。
 商店街が補助金等に頼らず受益者負担を原則として活動するとなると、当然この範囲外の部分は切り捨てられるでしょう。
 どこまでが経済活動か経済活動外か線を引くのは難しいとは思いますが、もし商店街がこの経済活動以上の部分=地域社会の情緒的な部分を支えなくなるとしたら、それだけ社会全体が味気ないものになってしまうのではないかと云う不安を感じるのです。
 人の絆、地域の絆のあり方など、これから先は目指すべき社会像とその担い手のイメージの話になりそうです。
(2013.2.4)
「武蔵野プレイス」
 「武蔵野プレイス」は、JR中央線武蔵境駅の南口から直ぐの所に位置する武蔵野市の公共施設です。パンフレットによると、「ひと・まち・情報創造館 武蔵野プレイスは、図書館、生涯学習支援、市民活動支援、青少年活動支援の機能を併せ持ち、分野横断的な活動やネットワークの活性化を促す施設」だそうです。
 オープンしたのは一昨年7月だそうですから、やや旧聞に属するのかも知れませんが、私は随分以前からここにどんな建物が出来るのだろうかと気になっていました。
 元々この場所は、農林省の食糧倉庫があった所なのですが、立川基地跡地に広域防災基地が整備されるのに伴い関連施設を移転集約する事になって転出したので、跡地利用が図られる事になったものです。
 私が関心を持ったのは2つの点でした。1つは、この建物の設計者はプロポーザル方式で選ばれており、その経過が非常に面白かった事と、もう1つは、その後市長が代わったのですが、新市長がこの建物に関して否定的な見解を述べていた様に記憶していたので、どのような結果になったのかと云うものでした。
 1番目の点について、面白かったのは、作品を選ぶコンペ方式ではなく、このプロジェクトにふさわしい設計者を選ぶプロポーザル方式だった点と、審査が公開で行われ、202者の中から予選を通過した設計候補者のプレゼンテーションが白熱してエキサイテイングだった事です。
 2番目の点については、コンペ当選案が完全に否定されたり、或いは設計者が交代させられたりと云う心配をしていたのですが、市が公表している記録を見る限りそのような事は無かったようです。
 設計者は次のように述べています。

「新しいソーシャルにむけて
・・・たくさんの人が集まる場をつくることができれば、そこはいつも心地よいざわめきのような人びとの気配に包まれ、自分が住んでいるリアルな社会を構成する多様な年代や属性をもった人びととの間に、ゆったりとした公共性や創発性のようなものが生まれてくるのではないか、そしてそういった感覚が、人びとの生活、さらには地域社会そのものを創造性に富んだ豊かなものにするきっかけとなっていくのではないか・・・」 (川原田康子+比嘉武彦「新建築」2011/11)
(2013.1.8)