あなたのまちづくりをお手伝い まちづくりホームプランナー事業協同組合 Urban Planners Association


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ホームプランナーの活動

ちょっとメモランダム(2009年分)


組合や組合メンバーの活動ご紹介、メンバーが出合ったちょっと役に立つ情報や気になること、あるいは日頃の活動の中で感じた独り言などなど、書きとめておきたいことをランダムにレポートします。
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「事業仕分け」の印象
 事業仕分けについては、賛否さまざまな意見が出されていますが、私の印象では、個々の良し悪しはとも角として、国の予算編成の考え方やプロセスを白日の下にさらけ出して広く国民の前に見せてくれた事が最大の成果だったと思っています。最初から完全なものは無い訳で、まずい点はこれから1つずつ修正していけば良いのではないかと思います。
 テレビ等で取り上げられたマスコミ報道では、ややエキセントリックな'切った張った'の印象が強かったのですが、実際には、1つのテーブルを囲んで政策を議論する普通の会議のようなやり取りが大部分だったように思います。そして、第1〜3会場いずれも熱気に包まれ、ホットな議論が展開されていました。
 私が全体をとおして見たのは、「国土交通省の不動産市場の環境整備等推進経費(1)持続的社会のためのエリアマネジメント経費(2)不動産管理適正化のためのモデル構築事業(3)地域における土地の有効活用推進経費」です。
 事業仕分けは、「事業/制度の必要性(そもそも必要か?)」、「担い手(国が担わないといけないのか?)」、「緊急性(来年度行う必要があるのか?)」などの観点から評価して仕分ける事になっています。
 これからの社会を予見させると思うのですが、このような場面でプロジェクトの意義や効果を分かり易く、しかも説得力をもって説明する能力が益々必要になってくるような気がします。ひたすら真面目な科学・技術系の人達にとっては、高いハードルになりそうです。勝海舟は、このような場面では抜群の能力を発揮した人のようです。
 私が傍聴した仕分けの結果は、(1)廃止、(2)予算計上見送り、(3)廃止、でした。
(2009.12.2)
街のDNAとハロウィーン
 ハロウィーンは、すっかり街のイベントとして定着したようで、万聖節前夜(10月31日の夜)前後のこの季節には、各地でハロウィーンのイベントが行われています。中でも「川崎ハロウィーン」は、全国紙の新聞に写真入りで取り上げなれるほどメジャーな存在です。
 仮装ダンス・パレードは、1996年に始まり、13回目を迎える今年も10月31日(土)に行なわれました。ラ・チッタデッラをスタートして、銀柳街を始めとする中心商店街を回遊するコースです。
 3,000人の参加者があったそうですが、ギャルから小さな子どもに至るまで、思い思いのコスチュームで楽しげに街を練り歩いています。沿道でこれを見ているギャラリーも大変な数です。
 ラ・チッタデッラを中心とする一帯は映画を始め多彩なエンタテイメントの街です。
 その歴史は、1936年まで遡るようですが、街のDNAとイベントがお互いに良い影響を与え合っているような気がします。
 

 

(2009.11.5)
「オリンピック」と街づくり
 2016年オリンピックが、南米ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催される事が決まりました。東京、シカゴ、マドリッド、リオ・デ・ジャネイロの候補4都市が出揃った時点から、私はリオ・デ・ジャネイロで開催するのが、4都市の中で一番良いと思い、東京で開く必要はないと思っていたので、この結果に満足しています。
 その理由ですが、かねがね考えていたのは、オリンピックは、ある程度経済が発展し、成長を遂げた国で、その仕上げをする段階で開催するのに向いているイベントなのではないかということです。東京オリンピックも高度経済成長が始まってから暫らく経っての時期に開催され、人口増加に都市基盤整備が追いつかない状況の中で、新幹線や高速道路が大急ぎで整備されました。評価はさまざまであるにせよ、都市基盤の整備を一挙に進めるためには、極めて有効であったと思います。
 このような、社会の発展段階の中での、効果的なイベントとしてオリンピックが果たした役割は極めて適切であったと思うのですが、その理解は、ソウルでも北京でも同様であったと思うのです。
 そのような視点で見ると、リオ・デ・ジャネイロは、現在正にそのような段階に位置しているのではないかと私は思っています。アフリカでの開催を考えるのは、まだ少々時期尚早の感じがします。
 一方、東京はどうでしょうか。環境を売りにしようとしたようですが、少々無理があるように感じました。時代に合わせて、オリンピックの理念を変えるのは、ありうるとは思いますが、どうもそんな話ではなく、“環境”にオリンピックを合わせようとしているように見えました。まして、余り話題になっていませんが、幹線道路の整備促進との関わりなど考えると、どうも素直になれません。
 生粋の東京育ちを、江戸っ子と言うように、生粋のリオっ子を“カリオカ”と言います。楽しいオリンピックが実現するように。“ビーバ カリオカ!!!”
(2009.10.6)
「政権交代」と街づくり
 予想されていた事ではありましたが、民主党の大勝によって、政権が交代することになりました。新政権の登場によって街づくりに新しい進展が見られる事を強く期待したいと思います。
 民主党のマニフェストの中では、街づくりについては、殆ど触れられていません。
 現在の国民生活は、緊急避難的に対処しなければならない事が余りにも多くあるために、これは仕方の無い事かもしれませんが、長期的に私たちが安心して生活できるよう基本的な点については、是非取組んで欲しいものだと思います。
 取り敢えず2つの点について、触れておきたいと思います。
 1つは、土地利用の枠組みについてです。既にわが国では人口減少が始まっており、新たに市街地を拡げていく必要は無い訳ですから、これからは、不安を感ずるような場所を避けて、安心して住める場所に住むのが良いと思います。極めて当たり前のことなのですが、現実には、河川氾濫やガケの崩壊、山崩れなどの怖れのある危険な場所にも沢山の建物が建っており、人が住んでいます。
 例えば、崩壊危険のある所には、通常よりも頑丈な建物を作ってまでそこに住むのではなく、住まない様にする。つまり人口減少に合わせて、安全性を高める方向へ方針を変更して、住む領域を縮小し、安全性を高めていくのが良いのではないかと思います。
 もう1つは住宅対策です。既に住宅のストックは、世帯数を上回っており、量的なバランスは満たされています。しかし、実際には、住宅に困っている人は沢山いるようです。
 これまで、公営住宅は主に低収入の階層を対象として、住宅サービスを提供してきた訳ですが、世帯構成も、ライフスタイルも多様化してきており、住宅に困っていると云う、その内容もさまざまであるようです。この事は昨年後半からの、景気後退に伴う雇用解雇の問題などと関連して話題になっていました。
 住宅困窮の質が多様化しているにも拘らず、住宅供給の多様性が準備されていないというギャップを埋める事が必要であるように思います。
(2009.9.2)
「環境アセスメント」について
 街づくりの経過を調べるために、初めて東京都環境評価条例の全文に目を通しました。
 この条例は昭和55年に制定され、その後平成7年、10年、12年、14年に改定されて現在に至っています。中でも平成14年の改正は大幅なものでした。
 この改定については、「計画段階環境影響評価制度を導入し、事業段階環境影響評価手続きの見直しを図ることにより、新しい環境影響評価制度として再構築した。」とあり、主要改正事項の第1番目には、「計画段階環境影響評価制度の導入」として、「個別計画及び広域複合開発計画を対象とした、事業計画の早い段階から複数案を環境面から比較評価する制度」と書かれています。
 これだけ見ると大変改善され、進歩したような印象を受けます。それで、その経緯・内容について当時の新聞等に目を通して見ましたが、その論調の主な点は次の通りでした。
 この改正の特徴は、規制緩和、事業者への負担軽減を図る事が基本的な性格であり、市民団体等からの要望が強かった計画段階環境影響評価制度を導入するが、その代わりに事業段階環境影響評価の規制緩和を抱合せた事にあるという点です。計画段階環境影響評価は、対象が東京都の大規模開発事業に限定され、殆ど対象になるものがなく、一方の事業段階環境影響評価の対象は、高さ100mを180mへ、面積を10万平方メートルから15万平方メートルへ、手続き期間を20ヶ月から9ヶ月へと緩和するものになっています。
 このためそれまでに対象となっていた43件について、新しい基準によると26件が対象から外れる事になるそうです。
その後この改正によって、どのような影響が出ているのでしょうか。
(2009.7.30)
「日本の未来をつくる〜地方分権のグランドデザイン」
 この本は本年5月に、NPO法人「日本の未来をつくる会」編著として発行されたもので、執筆者には岡田新一、田村明、市川宏雄等の諸氏が名を連ねています。
 明治以来の歴史を振り返って、明治維新、敗戦からの復興、の2つの大変革に続いて、第3の根本的なシステムの改革が必要であるとして、完全自治州制によって地方分権を実現すると言う視点で、そのグランドデザインの検討が行なわれています。
 執筆者6人のそれぞれで、見方が違うのは当然ですが、「日本の道州制の議論は、どういう問題意識で導入するのかが分からない。」あるいは、「道州制は地方分権にとって中立である。」というクールな見方が印象的でした。
 それでも、かってニューヨーク地域計画協会が、民間団体として、資金を集め、計画を作り、政策提言をし、それを受けて議会や行政が採否を検討するという話を聞いた時、日本でも、民間団体・地域団体がこのような計画作り、政策提言をもっと積極的に行なわないと、本当のオルターナティブな政策は中々実現できないのではないかと思った事がありました。その点からこの本の試みには興味を覚えました。
(2009.7.1)
江戸街づくり景観整備事業
 浅草の伝法院通りにある商店街が、江戸街づくり景観整備事業を行なって雰囲気のある商店街としての整備を行ないました。
 きっかけとなったのは、「つくばエクスプレス」の開業によって、国際通りに新設された「つくばエクスプレス浅草駅」からの人の流れと、雷門・仲見世からの人の流れをつないで回遊性を高めようという狙いだったそうです。
 この事業は、東京都が「地域連携型モデル商店街事業」として平成17年度から実施しているもので、商店街が地域住民や大学、企業、NPO等の地域団体と連携し、環境、福祉、観光等の地域ニーズに対応した地域おこしやまちづくりに取組む事業を支援するもので、その初年度に指定され実施したものです。
 事業は、浅草伝法院通り商店街振興組合、伝法院通り商店会等4つの商店会で「伝法院通り江戸まちづくり協議会」を組織して実施されました。
 完成時の東京都による報道資料によると、「〜江戸の古き良き時代の伝法院通りをお披露目します。〜」として、次のように述べられています。
 「浅草伝法院通り商店街振興組合と伝法院通り商店会が協力して、商店街を江戸まち風にし、浅草らしい魅力あるまちなみをつくりました。店先を、瓦葺に板張りや白壁風の外装、のれん風の日よけや木製の看板で飾り、通りには大八車や天水桶などを設置し、土の道路をイメージした舗装にして、江戸のまちなみを演出しています。江戸八人衆のシャッター絵や地口行灯なども見どころです。さらに、江戸の日常の暮らしを感じさせるしかけとして、通りの清掃、打ち水、夜回りなどを実施します。これらの取組みにより、浅草地域全体の回遊性を高め、地域の活性化を目指しています。」
(2009.6.2)
アジア交流音楽祭
 川崎駅周辺で、4月18日・19日の2日間アジア交流音楽祭が開催されました。川崎市は、「音楽のまち・かわさき」を合言葉に、さまざまな催しが行なわれていますが、アジア交流音楽祭もその1つで、今年は5回目になるそうです。メイン会場は、ミューザ川崎シンホニーホールですが、私が見てみたいと思ったのは、駅周辺の7ヶ所で同時開催される市民交流型コンサートの方で、11カ国69グループの参加があったそうです。
 7つの「交流ステージ」は、映画動員数が日本一といわれるチネチッタの中央広場、ミューザ川崎のガレリア、地下街アゼリアのスタジオ、駅前広場に面した川崎ルフロンのシンデレラステップス、大型SCラゾーナ川崎プラザ、かわしんふれあい広場、銀座街入口にもうけられており、場所の配置も地区を訪れる人々の回遊性の向上に馴染みやすいものでした。
 私はこれらの会場を一通り廻って音楽のつまみ食いをして来ました。聴いたのは、エスニックジャズ、津軽三味線、カンボジア古典舞踊、インドシタール、二胡&ピアノアンサンブル、ネパール民族舞踊でした。

(2009.5.1)
歴史的建造物と図書館
 新しくオープンした北区中央図書館は、自衛隊の赤レンガの建物と土地の移管をうけて作られたものです。
 この建物は、陸上自衛隊十条駐屯地旧275号棟と言われたもので、大正8年(1919)に旧東京砲兵工廠銃包製造所として完成しています。90年の歳月の中で、旧帝国陸軍の施設からアメリカ軍による接収、更に日本への返還により陸上自衛隊が使用する事になるなど、国の歴史と共に歩いて来たようです。
 当初は赤レンガの建物を取り壊して新築する予定だったそうですが、保存要望書が出され、或いは区民の声が高くなってきて、建物を活用する事になったものだそうです。(社)日本建築学会でも2002年9月に、「旧陸上自衛隊十条駐屯地275号棟の保存・活用に関する要望書」を東京都北区長宛で提出しています。これによると、北区内のレンガ工場で焼かれたレンガも確認されており、また当時の鉄骨材は外国製が多かったそうですが、「SEITETSUSHO YAWATA ヤワタ」の刻印のものも発見されているそうです。
 このような古いものが保存され、蓄積されてくると、少しづつ街が深みを増してくるような気がします。
(2009.4.2)
品川の街を歩いて
 ここ数年、私の品川に対する印象は随分と悪いものでした。その最も大きな理由は、東口の開発の印象が非常に悪かったからです。再開発が始まった初期の頃、一列にビルが建てられていた段階では、それなりに整然とした街が出来つつある印象だったのですが、何時の間にか壁のようなビル群が族生するような感じになってしまいました。
 西口側は、京浜ホテルが歴史を感じさせると共に、ホテルの中にあるレストランは結構味が良く、私のお気に入りだったのですが、突然閉鎖と従業員による自主営業でニュースになってしまいました。
 こんな断片的な思いがある品川でしたが、東京都が「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン」(平成19年11月)を作成したのを知り、ガイドラインマップを片手に歩いて来ました。
 楽しい街歩きでしたが、私が特に興味を覚えたのは次のような事でした。
 1つは、水の豊かな風景です。駅の周りだけを見ても今は全く見えませんが、少し東へ歩くと豊かな水の風景に接する事が出来ます。カバーページの写真もその1つです。ここらへ来て初めて、海に面してさまざまな政治的出来事があった幕末のドラマを思い出す事が出来ます。
 もう1つは、旧東海道宿場名残の商店街です。ここを舞台にした映画「幕末太陽伝」は、フランキー堺が主演した昭和32年の作品ですが、記憶にある方は相当の年配の方たちだけであろうと思います。
 そのような歴史的記憶を留めながら、地元商店街では旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会を立ち上げて、観光振興を図ったり、NPOと連携したりと活発な商業活動を行っているようです。
 
(2009.3.2)
シンポジウム「国立駅ぐるりのことを考える」
 日々利用しているJR中央線では現在、三鷹〜立川間で連続立体交差化事業が進められていますが、工事の進捗に合わせて、現在国立駅では下り線だけが高架化されており、高い位置にホームが設けられています。
 かって市民に親しまれていた駅舎は既に解体されており、部材が国立市によって保管されているそうです。
 そんな状況の中で、先日シンポジウム「国立駅ぐるりのことを考える」が開かれました。
 国立市内の私立小卒業生であり、国立を開発した堤康次郎氏を父に持つ詩人の辻井喬氏による基調講演、国立市長による「国立駅周辺まちづくりの考え方」の報告、休憩(ポスターセッション)を挿んだパネルディスカッション「駅前空間とまちづくりを、交通体系の視点から見る」となかなかに充実した内容でした。
 肝心の交通体系については、もう少し議論を深める必要がありそうですが、いつも感じるのは、国立市民の意識の中に、シンボルであった駅舎、大学通りの景観がどれほど深く根付いており、そしてこの街を愛し、誇りに思っているかを参加者のさりげない発言などの中から感じ取れる事です。
(2009.2.2)
湯浅誠著『反貧困〜「すべり台社会」からの脱出』
 大仏次郎論壇賞は、今年で8回目になるそうですが、受賞作には、例年面白い本が多くて、楽しみにしています。先日、今年度の発表が行われたのですが、大変面白そうなので読み始めたのがこの本です。
 所が100年に一度と言われるようになった世界同時不況のため、期間労働者の解雇が相次ぎ、この本とシンクロナイズしてマスコミでは連日「反貧困」のニュースやらルポで溢れるような状況になってきています。
 確かにフルタイムで働いている人が、それでも生活出来なくなっている社会はどのように考えてもまともな社会とは云えないと思います。
 著者が属している「もやい」のホームページでは、生活保護費の概算を自分で計算できるソフトが公表されているので、我が家の生活保護費はどれ位になるのか計算してみました。住宅扶助を上限の69,800円として試算したのですが、月額の総額で190,310円となります。つまり住む事以外で使えるお金は、120,510円となります。これでどのような生活が出来るのか、実感を以って想像する事が出来ます。
(2009.1.5)

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