あなたのまちづくりをお手伝い まちづくりホームプランナー事業協同組合 Urban Planners Association


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まちづくり広場

ホームプランナーの活動

ちょっとメモランダム(2006年分)


組合や組合メンバーの活動ご紹介、メンバーが出合ったちょっと役に立つ情報や気になること、あるいは日頃の活動の中で感じた独り言などなど、書きとめておきたいことをランダムにレポートします。             
タイトル
発信者
記事
「都市プランナー田村明の闘い〜横浜<市民の政府を目指して>」
田村明著 学芸出版社(2006年12月)
 この本は、田村明氏が横浜市に入庁した1968年から退職する1981年までの13年の間に関わった数多くのまちづくりのプロジェクトについて語ったものです。
 横浜のまちづくりについては、既に多くの人がさまざまな角度から述べていますが、総合的なまちづくりプロジェクトを推進した当事者が、その背景まで含めて詳細に書いているのが類書とは異なるこの本の大きな特徴です。
 都市プランナーが活動する場では、論文や図面での自己表現にとどまるだけではなく、組織、人、制度等さまざまな制約条件の中を潜り抜けなければなりませんが、田村氏はそのような状況の中で、個別具体のプロジェクトについて、何を目指し、どのような仕組みを作って実現してきたのかを生々しく物語ってくれます。
 私もすぐ近くの所で、これらの「闘い」を見て来ていただけに、このような本を書くべきだと早くから田村氏に言っていたのですが、ほとぼりが冷めるまでにはそれなりの時間が必要だったのだろうと思います。

東京都薬用植物園が無くなる?
 初めて東京都薬用植物園の事を知ったのは、こう云うものこそ行政機関がきちんと運営すべきであると憤りにも似た激しい口調で都庁OBの方が言われたのを聴いた時でした。
 小平市にあるこの薬用植物園は、敷地が約31,000平方メートルあり、現在は主に、脱法ドラッグや健康食品の指導・取締りに向けた植物の鑑別等の試験・研究を行っているそうです。この薬用植物園の一番の特徴は、東京ではここでしか見ることのできないケシ・アサなどの麻薬原料植物を、研究のため許可を得て栽培していることです。
 園内は一般公開もされていることから、静かな環境の中でリッチな散策の時を過ごす事が出来ます。
 所が、この施設に関して2005年度の東京都の内部評価で「廃止を含めて抜本的に見直す必要がある」とされたため、先行きが不透明になってきました。
 知事本局の総合評価によると「薬事監視に資する試験検査・研究を行うことは必要である。しかし試験検査・研究に活用されているものは、1,600種の植物のうちの一部に過ぎないため」とあります。
 一方、地元の小平市議会では、この問題について東京都に意見書を提出しており、また市民団体によるフォーラムも開かれているようです。
 小平市議会が提出した「東京都薬用植物園の研究施設の維持と都市計画公園の実現に関する意見書」にはこう述べられています。「・・・敷地全体は都市計画公園として都市計画決定されており、樹林地も東京都における自然の保護と回復に関する条例に基づく歴史的環境保全地域に指定されています。現在、薬用植物園を含むこの地域は東京都の積極的な努力により樹林地の公有地化が図られ、野火止用水に沿って豊かな緑で形成される空間として、小平市民を初め訪れる多くの方々に潤いや安らぎを提供する大変貴重な場所になっています。」
 不要な公共用地の処分、事務事業の民間へのアウトソーシングなどなりふり構わない行政のスリム化が進行していますが、そもそも行政はどのような役割を担うべきなのかを検討するとこういう事になるのだそうです。
 この問題を良い形で収束させるには、公園機能と試験研究機能とを両立させる複合的な管理システムを考える必要があるように思います。
国立駅舎の解体
 今春、桜の花に縁取られた駅舎を見ながら、来年もこの風景を楽しみたいと思っていたのですが、そうも行かなくなりました。この10月10日から駅舎の解体工事が始まっており、既にキオスクは移転しています。
 駅舎保存の問題については、これまで理解に苦しむような紆余曲折があったようですが、この度、国立市、JR東日本、東京都の3者で「駅舎の取り扱い方針に関する確認書」を締結し、飾り窓等の部材を丁寧に解体し、これらの部材を市が保管することになりました。まだ残されている課題として市の教育委員会による文化財指定があり、解体される前に指定が行われる必要があるそうです。(無くなったものを指定するわけにはいかない)。これで漸く復元の可能性だけは残されると云う事のようです。この問題に熱心に取り組んできた人たちの想いが、是非実るように声援を送りたいと思います。

大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ
 大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレは、3年前にも行きたいと思いながら果たせなかったので楽しみでした。
展示は760平方キロメートルという広大な地域に広がっていると云う事なので、日帰りでは330点の作品のうち幾つも見ることは出来ないだろうと思っていたのですが、全体を概観することが出来て、大きな収穫がありました。
 十日町駅に着いたのは午前10時でしたが、タイミング良くダイジェストツアー(定期観光型)という1日コースのツアーがあったので、これに乗って回ることにしました。バスには、「こへび隊」(サポーターグループ)のメンバーの女性が同乗して、展示作品の解説だけでなく、地域の風土・震災・農業の話など生活感溢れる内容豊かなガイドをしてくれました。自己紹介によると自分の娘がこの芸術祭に関わっており、それに触発されて「こへび隊」に参加しているが、もう還暦を過ぎているとの事でした。
 しっかりした思想に基づく活動は、地域の個性を発見し、地元の人々を元気にし、訪れる人々に新鮮な驚きを与えるのを実感しました。

  
烏山寺町の環境協定
 随分長い年月にわたって、一度訪ねたいと思いながら行くことの無かった烏山寺町に行こうと思ったのは、最近、烏山寺町の環境協定に関する論文を読んだからでした。マンション建設に端を発した住民運動が環境保全運動へと展開し、昭和50年(1975)にこの環境協定は締結されています。
 論文によると、この環境協定の特徴として4点挙げられています。(1)地下水(宙水)を守ることを核とし、地区の環境保全を目的としたこと、(2)対象範囲を明確に定めていないこと、(3)法的な強制力を持たない紳士協定であること、(4)発端はマンション建設に伴う紛争であったが、周辺寺院に共通する環境問題として捉え直すことで、当事者双方を含めた周辺の寺院全員が合意できるものとなったこと。
 現在でも周辺での開発や一方では支援活動団体の誕生などの動きがあるようで、静かな寺町通りを歩いていると、30年の風雪の重みを感じます。

*荒俣・井澤・佐野「烏山寺町における環境協定の締結とその後の30年」
(都市計画とまちづくり〜高見澤邦郎先生退任記念論文集所収)
立原道造が夢見た「ヒヤシンスハウス」
 「ヒヤシンスハウス」の事を知ったのは、たまたま行政資料を見るために埼玉県庁を訪れた時の事でした。通路に置いてあった「彩の国景観賞2005」の受賞作品のパンフで見たのでしたが、立原道造の名は、夢中になってその詩を読んでいた自分の20代30代を想い出させるものでした。いまどき、どのようにして、こんな素晴らしいプロジェクトが実現したのだろうと、その訳を知りたくて関連記事(*)を探して読みました。
 そして、23歳の立原道造の若々しいこと、(勿論、この写真は現地でも見ることが出来ます。) 1937年に描かれた風信子ハウス設計図など手書きのスケッチの魅力的なこと、こんなにも高度な専門性を備えたボランティア・グループがあること等多くの新鮮な印象を持ちました。
 このプロジェクトが実現する上で、さいたま市が政令指定都市になり、公園管理者が埼玉県から、さいたま市に移管されたことも大きかったとの事でそれはそれで興味深い事でした。
 *芸術新潮(2005/02)、新建築(2005/03)、住宅建築(2005/03)
たまかん、さよならパーティ
 「のぼりとゆうえん隊」は川崎市経済局が策定した「登戸商業ビジョン」に参加した委員有志と市民により2003年5月に結成されたグループで、地元生活者の視点から、街を楽しくするための仕掛を仕組もうとしているグループです。
「たまかん、さよならパーティ」は、のぼりとゆうえん隊が展開する「のぼりとまちなかアートプロジェクト(noborito-map)」イベントの第1弾で、本年3月35年余りの歴史を終えて閉館し、現在は解体を待っている「川崎市多摩福祉館」(通称:たまかん)を会場にして作品展示、ワークショップ、ゲームなどが行われました。
併せて商店街が協力し、それぞれのお店に張り出してある「○○中」のステッカーが面白く、商店街を歩く楽しさを味わせてくれます。

  
「賀寿の範囲」について
 私事で恐縮ですが、母が今年99歳で白寿を迎えました。賀寿は数え年で云うものであり、百の字から一を取ると白になるので白寿と言います。
人は還暦(61歳)、古希(70歳)、米寿(88歳)と齢を重ねていく訳ですが、白寿の次は何と言うのか調べるために図書館の辞書のコーナーへ行きました。いくつもの辞書を見たのですが、出て来たのは上寿(100歳)だけでした。
 それで、国立国語研究所へ問い合わせたのですが、これ以上の言葉は無いと言うことのようです。
つまり、わが国の長寿化は、既に「賀寿の範囲」を超えていると云う事であり、お目出度いと共に、新しい言葉の創造を迫られていると言う状況を新鮮に感じました。 
国立駅舎
 以前、国立市で大学通りの景観保全のために活動している女性市会議員の話を聞いたことがありました。その時に感じたのは国立の人々はこの景観をこよなく愛し、既に生活の風景の一部になっているということで大変感動しました。1926年(大正15)4月1日の開業以来市民に親しまれて来た国立駅舎についてもこの思いは同じのようです。
駅南口を出ると正面に国立市建設部まちづくり推進課による「国立駅周辺事業のお知らせ」が建っています。曳き家案が昨年9月、12月の国立市議会で否決されたこと、曳き家以外の駅舎保存方法について東京都、JR東日本と協議を行っていること、スケジュール的に非常に厳しくなりつつあることが述べられています。
サクラ吹雪の中で大学通りを多くの人たちが三々五々歩いています。デジカメや携帯で写真を撮っている人も結構目につきます。
この風景を来年も再び見ることが出来るように心から願っています。
シネコン
 「シネコン」が各地に出来てきています。「特定サービス産業実態調査報告書 映画館編」によると、シネコン(=ショッピングセンターなどとの同居型)の映画館(スクリーン)数は、平成13年の1,047から平成16年の1,445へと38.0%も増加しています。
かってのボーリング場のように急激に乱立し、その後頭打ちになって淘汰されていくことになるのでしょうか。カバーページのシネコンは「よしもとゲームアミュージアム」とのコンプレックスになっています。  
仙川の街づくり
 ふと目に留まった文章に興味を引かれて、調べるうちに仙川の街が面白くなってきました。京王線仙川駅は、特急・急行が停車しないローカルな駅です。この駅と直行する狭いが人でごった返している路線商店街については随分昔から知ってはいましたが、近年面白いことが起こっているようです。
 この商店街は、南端に数多くの音楽家を輩出した桐朋学園があるためと思いますが、仙川ハーモニータウンと名付けられており、その中が街区ごとにハープタウン、ピアノタウン、ヴァイオリンタウン、トランペットタウンと名付けられています。
 路線商店街は、宅地が細分化されており、その土地の上に低層の店が立ち並んでいるのが普通であり、ここもそうだと推測されますが、その一皮裏側の畑一帯では平成6〜11年にかけて土地区画整理事業が行われています。出来上がった宅地には建築家安藤忠雄氏の設計による東京アートミュージアム、シティハウス仙川が既に完成しています。
 調布市も文化政策の一環として「音楽・芝居小屋のあるまちづくり」の検討を進めており、市立仙川保育園の建替えにあたっては保育園・劇場・集会場のある施設を「音楽・芝居小屋のあるまちづくり」として同じく安藤氏の設計によって現在工事中です。
 調布市のハード面のまちづくり政策としては、商店街、土地区画整理地区を含む一帯を地区計画の区域とし、区域内を7区分して魅力ある商業・業務施設、ゆとりある良好な都市型住宅、芸術・文化・コミュニティ施設の立地誘導によって安全で潤いのあるまちづくりをすすめることにしており、現在も地区整備計画の内容を固めるために地元と協議を行っています。
 ハードな基盤・施設整備とソフトな文化・産業振興とがうまくバランスした本来の姿の街づくりが進められているように感じました。

  
都城市役所ロビーコンサート
 
 住民票を取りに行く位しか用の無かった役所にも、市民活動の風が吹くようになりました。 都城市では、平成6年1月から市民に開かれた市役所づくりの一環としてロビーコンサートがスタートしました。昼休みの時間を利用した月に1回程度の開催ですが、地域で音楽活動を行っている人たちを中心に、さまざまなステージが繰り広げられて既に182回を数えました。運営はロビーコンサート企画運営委員会おたまじゃくしの会です。こんな場面に出会うと街が段々楽しくなって来るような気がして来ます。
CIVICS市民立法-3「市民自治体 社会発展の可能性」
須田春海著 株式会社生活社

 この本の著者は、長年にわたって市民運動の理論と実践に深く関わって来た市民運動全国センターの世話人です。
 この本では、急速に陳腐化しつつある既成の、強い中央支配を受けて来た「地方公共団体」から、市民が自ら地域を経営する市民自治体へと改革するための構想を示しており、そのリーディング役として市民シンクタンクを位置づけています。
 この元日にも多くの合併自治体が誕生しました。合併や地方分権、環境問題、制度疲労など個別の問題は山積みしていますが、これらの課題にどう取り組むべきか総体としての方向性を示し、その転換プロセスと可能性を開く運動について述べている所にこの本の魅力があると思います。

顔の見える温展情報のススメ
K

 電通主催の「シニア大航海時代」という一連のセミナーでクラブツーリズム社による報告を聞く機会がありました。
 一貫してシニアマーケットに照準を置き、比較的廉価なお手軽バス旅行を恒常的に大量供給。B5版の旅行情報誌「旅の友」を目にした経験はどなたでもあるのでは? 今やアクティブシニアは1兆円市場。旅を楽しむ層は単純に考えても、金あり/余裕あり/気力あり/体力あり。「旅の友」配付先=会員は現在全国 390万世帯(首都圏エリア 255万世帯)。約20年の蓄積の成果で、同社利用の高齢顧客の合計数というだけでなく、いくつかの仕掛けによって顧客データが鮮度高く更新/維持管理されていると思われます。例えば(1)情報誌の配送人全国900人で顧客をエリア管理する(2)ツアーで生まれた旅縁をクラブ結成して添乗員が継続して世話係り管理する など。顔の見える関係の中から会員の囲い込み・シーズ発見・新企画への大量集客システムができます。さらにこのクラブ構成員は志向の鮮明なセルで、旅を越えて新企画やビジネスに展開する可能性を持ちます。
 情報弱者は高齢者に限りません。「プロフィールや志向が鮮明で更新されるデータ」を正しく絶えず掴む「顔の見える人」の働きや仕組みを工夫する、双方向TVや電話など機器やシステムの進化では拾い切れない、緻密で温かくて、次へと展開する情報のやりとりはデジタル社会の今だからこそ面白そうです。

まちづくり格付考(続々)

 先日、某まちづくり関連特殊法人の上層部の方とお話する機会がありました。
 特殊法人の存立そのものが問われている今日、まちづくりの分野においても、旧来型事業展開の枠組みを超えた「まち経営」の議論が聞けるものと、大いに期待していました。
 しかし、その期待は完全に裏切られてしまいました。組織が疲弊しているのか、発想が貧困化しているのか分かりませんが、少なくとも「今後のまちづくりにおいては、与信の供与が一つの鍵を握っており、かつ、まちづくりの特殊法人のビジネス展開としてこの分野が大きく期待されている」という提案は、完全に無視された次第です。まさに「言語が違った」というのが実感です。
 グローバルスタンダードなどと言葉だけは先行していますが、その実現にはまだまだ障壁が多く、特に官の側では、こうした動きが自らの課題だと理解されていないとう現実を見た思いです。
 まちづくり事業に「格付」という発想は間違っているのかも知れないと、少々自信喪失気味です。

まちづくり格付考(続)

 TMOの「M」はマネジメントの「M」でしょう!
 大福帳型単年度決算主義の行政はもとより、一国一城の主である商店主の方々や、「先生」稼業のコンサルタントの方たちとは、『マネジメント』というビジネスタームが共通言語となり得ないことを頭では理解しながら、しばしば冒頭のようなイラダチを覚えてしまいます。
 必要な資金をいかにして調達するか、投下された資金に対するリターンをいかに提供していくかは、マネジメントのきわめて重要な要素です。しかし、補助金だよりの官製「TMO」には、この肝心な部分が欠落しているのではないかと思われます。
 しかし、そうであるからこそ、「格付」というまさに『投資−リターン』に直結する考えをまちづくりに導入することによって、従来とは異なるまちづくりの展開が期待できるのではないかとの期待も生まれてきます。
 では、どうすれば良いのか。「格付」という視点からみたポイントは、民側では信用力の向上、官側では与信供与のシステム提供にあると言えます。

日本の半分は過疎地域

 必要があって過疎地域はどれぐらいあるのか知りたいと思いました。今年4月に「過疎地域自立促進特別措置法」が施行されましたが、過疎地域の要件は、(1)人口要件及び(2)財政力要件に該当するものとされており、過疎地域の状況は次のようになっています。
 市町村数(平成12年4月1日現在)1,171(全国の36.3%)、人口(平成7年国調:万人)754(全国の6.0%)、面積(平成7年国調:km2)180,339(全国の48.5%)。
 要するに過疎地域は国土の半分弱を占めており、しかもそこには人が僅か750万人しか住んでいないのです。
 仮にこの過疎地域だけ切り取った日本列島を想像してみると、オーストラリアやモンゴルのようなのどかな風景が目に浮かんできます。

まちづくり格付考

 中心市街地の活性化計画はできても、事業化に結びつかない。目下、通産省の担当者の最大の悩みだそうです。しかし現場からは、もっと深刻な声が聞こえてきます。事業を起こしたくても銀行がお金を貸してくれないという悩みです。
 日本の金融は、まだまだ担保主義です。このため、担保資産を持たない商店街の組合や、新しく作られたまちづくり会社は、銀行から融資を受けることができず、仕方なくリーダーが個人資産を担保にしてお金を借りたという話を、よく耳にします。飛躍しすぎかもしれませんが、信用保証協会から債務保証を受けるために政治力が暗躍するのも、こうした構造に問題があると言えなくもありません。
 日本でも、ムーディーズのように、公認会計士などのプロフェッショナルが、客観的視点から事業の格付を行うシステムが、徐々に整いつつあります。
 だとすれば、これからはまちづくり事業も、こうした格付をベースにして資金の調整を図る時代になるのではないかという気がします。
 このテーマを、少し継続的に考えてみたいと思っています。

「まちなかに住む」作法
K

 伊賀上野で、まちなかにお住まいの市民の方々に、まちやまちづくりに関するお話を伺う機会がありました。
 非常に緊密な仲間同士のお付き合い社会----所属セル----があるそうです。風呂屋、床屋、パーマ屋、電気屋、魚屋など行きつけの所は固定しており、行くと仲間に会える場、情報を得る場となっています。これを乱して(浮気して他に行って)まちなかで居心地よく気詰まりなく暮らすことは考えられません。
 和菓子屋さんが多いように見受けられました。、その理由を尋ねたところ、祭礼が多い。○○の会が多い。料理菓子、茶席菓子など近畿文化に根ざした多様性と俳句文化にちなんだ商品化が盛ん、といったお話に続けて、和菓子の「和」は、なごみの和、和解の和 との表現がありました。「歴史ある城下町の地縁社会の小さな諍いや行き違いに、菓子を贈る/頂くことが潤滑油になっているのかもしれない。」とも。
 都心居住は中心市街地活性化の重要なポイントですが、「まちなかに住む」ということは、こうした緊密な人間関係やその処し方の作法を大事にして生活することが楽しい/苦痛でない、と思える何らかの求心力によって成り立つように感じています。

健康産業、癒し産業が上げ基調
K

 設計領域を固定化したかと思えるほど、フィットネスクラブのプランニング屋さんに仕事が集中。スタジオとトレーニングジムへの用途変更や改修、さらにリフレクソロジー(足指繰術)、アロマ療法などのセラピーサロンの作業。出店は全国的にブレイク、この業界、元気です。
 大手の不動産会社でリゾートや旅館・ホテルの設計を得意としている友人も、このところお風呂屋さんになってしまった、とぼやいています。景気好調のアメリカは、この10年間でデイ・スパ(温浴の日帰り版)が30店鋪から1600店鋪と急成長、マンハッタンでもこの数年間で倍増しているといいます。必ずしも大きなプールが要らないのがミソ。まだまだ多様に展開しそうです。

“アメニティタウン”は今

 昭和61年度というと、バブル突入の直前の時期にあたります。この時期に策定した“アメニティタウン”計画が今どのような姿になっているかを追跡調査するために、久しぶりにこの町を訪れます。
 当時の担当者は、現在は企画調整課長をされており、計画通り実現した点、挫折した点、世の流れが変化した点など話し合い、確かめてきたいと思っています。

“みんなで町をつくろう”フォーラム

 私が育った文字通りのホームタウンで目下総合計画の改訂作業が進められています。策定作業の中でもう1つ町民の意見提言の反映が少ないようなので、このような話し合いの場を手作りで設ける事にしました。
 幸い、呼びかけ人になって下さった方が1人は元こども劇場事務局長、もう1人はグリーンツーリズムを提唱している方で、展望のもてるフォーラムになることを期待しています。

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